裏日本観察学会総本部

「どうでもいい」と見過ごされがちなニュースや出来事、面白ネタに雑学、2chネタなどを観察します

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

京都文化博物館 平成18年7月30日

 京都文化博物館で「北斎と広重展」が開催されているので、足を運ぶ。日本化薬元会長の原安三郎コレクションが今回は公開される。さて、北斎・広重両者の代表作である『富岳三十六景』と『東海道五十三次』も、全編ぞろいで展示されていたが、今になって両者の違いが何となく見えてきた。

 北斎の描く冨士は生活空間の一部である。『富岳三十六景』は確かに冨士が主題ではある。しかし北斎には冨士そのものよりも、冨士を中心とした江戸や各地の市井の人々の生活を描きたかったのではないだろうか。日常空間の中に、非日常空間(江戸期、冨士信仰は爆発的に急増する)である冨士が顔をのぞかせる。『富岳三十六景』は北斎自身も画面描かれる人物と同一の視点に立っているように思えた。
 対して『東海道五十三次』は、旅という非日常空間での光景を描いている。だから描かれる人物も風景の一部であり、そこはどこかしら「物語(フィクション)」の一面のようである。広重が『東海道中膝栗毛』の影響を受けて東海道を歩き「五十三次」を描いているが(実際、作品中には弥次喜多を思わせる人物がいる)、そこは旅人の視点で風景・人物を捉えている。であればこそ、雪の降らない「蒲原」を雪景色で描いたのだろう。
 「人物のいる風景」と「風景としての人物」。この違いがあるからこそ、同じ風景浮世絵でありながらも、代表格とされるのだろう。
 しかし、本来浮世絵とは、美術館や展覧会などであらたまって見る物ではなく、手に取り、あるいは寝そべりながら眺める物であったのだから、その視点で見たらまた違う発見があるだろう。

20060808172414.jpg
 昼食は館内1階にある「鳥彌三 あざみ」で、賀茂なす御前と瓶ビール。焼いた賀茂なすにダシを掛け、すり下ろしたオクラを乗せた夏らしい一品。

 館内掲示板を見ると2時30分から「あねさん亭」と銘打って落語会が行われるとあったので、立ち寄ることにする。
 桂ひろばの「ろくろ首」、笑福亭晃瓶の「ちしゃ医者」、桂坊枝の「舟弁慶」、トリは桂福楽の「仔猫」。特に「仔猫」など、前半は孝女物と思わせて因果話と移り、最後にあっけないほどオチで終わる。しかし、この手の「親の因果が…」という系統の噺はテレビではできないのだろうな。

20060808172422.jpg
 京都文化博物館

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。